2019年3月18日月曜日

中筋横丁(大阪市中央区)

中筋横丁の看板
法善寺表参道より(2019年3月)

前日に引き続き法善寺界隈でもう1つ、こちらも散策中に発見した。
真っ昼間なのに照明がないと奥が見えないほど薄暗く、なんとも入りづらい路地である。この看板がないと誰も奥に店があるとは気づかないだろう。

この看板も最近新しくなったようで、以前は上に店舗名が連なる縦長の看板だった。
とてもシンプルで格好いい看板で奥にはきっと名店があるのだろうが・・・。


2019年3月17日日曜日

利兵衛横丁(大阪市中央区)

利兵衛横丁のアーチ看板
利兵衛横丁内より撮影(2019年3月)

法善寺横丁周辺を散策中に発見。このあたりは飲み屋が立ち並ぶ小さな路地が多い。
この看板は隣の建物から横に突き出た棒に付いているので正確にはアーチと言えないだろうが、役割は一緒である。

看板の背景の提灯や屋根が付いているのも法善寺横丁を意識したものか。
外付けの照明は無いが、看板自体が光るタイプである。

利兵衛横丁


そしてこのアーチは他の方々のブログの写真を見ていると2014年以降に新しく作られたようだ。以前の看板は12軒の店名が縦書きで並んでいたが、そのうち今でも残っているのは右上の「島谷」「綏泉」「味鳥」の3軒だけ。店の入れ替わりとともに看板も付け替えたのだろう。以前の看板にはザ・大人向けのお店の名前も混じっていたが、今はそのカオス感はなく、クリーンな横丁である。

2019年3月16日土曜日

法善寺横丁(大阪市中央区)

法善寺横丁のアーチ看板
法善寺横丁西側入口(2018年12月)

前回紹介した「法善寺」の隣、撮影スポットとしても有名な「法善寺横丁」。
横丁は寺の参拝者を相手にした露店が始まりだったそうだ。

法善寺横丁のアーチのアップ

アーチは類似例が少ない木製・屋根付きで、横丁の雰囲気にとてもマッチしている。

法善寺横丁昔の写真

境内には昭和57年に横丁の石畳が敷かれたときの様子が写真付きで紹介されており、当時のアーチ看板も写っていた。こちらは昔ながらの飲み屋街によくありそうなタイプだった。


2019年3月15日金曜日

法善寺(大阪市中央区)

法善寺のアーチ看板
法善寺西側に位置するアーチ(2019年3月)

本ブログでは初めての寺社仏閣からのアーチ。
「アーチ看板」というよりは「門」ではないかと言われると確かにそうだ。
しかしこの提灯と文字のパネル、見た感じはとてもアーチ看板っぽい。

ところで私には「アーチ看板の原祖はいったい何なのか」という疑問がある。
このアーチ(門)を見ていて考えたのだが、「鳥居や門が変化した」という仮説はどうだろうか。

鳥居や寺の門は聖と俗の境界を示す目印であり、アーチ看板も同じくその場所の目印である。
古くから神社や寺には人が集まり、その前では商売が盛んな場所も多かったと思うが、鳥居や門はその商売の場所のシンボルでもあったと思うのだ。

適当なことを言ってはチコちゃんに怒られそうだ。
サンプルや情報を集めてもう少しまともな議論ができるようにまとめたい。
もし既往の研究や見解をどなたか知っていたら教えてほしい。

法善寺のアーチ
アーチの外側はにぎやか、内側がにぎやかな商店街とは逆



2019年3月5日火曜日

千日前中央通り(大阪市中央区)

千日前中央通のアーチ看板
堺筋から撮影(2019年3月)

千日前中央通は居酒屋や焼肉屋、大人向けのお店もある歓楽街である。
アーチ看板はいたってシンプルでとてもわかりやすい。黄色地に赤色の文字はデザイン的にとても目立つ。

昨年の台風の影響でこの看板部分が剥がれたようだが、デザインはそのまま修復された。
(その際、看板の中には蛍光灯が並んでいることを確認)

ストリートビューで過去の画像を見ると、2015年3月時点では前のデザインだった。外側のタイル状の枠はそのまま、中央の板だけ取り替えられたようだ。「居抜き」のような看板である。

千日前中央通のアーチ看板を東側から

この看板の堺筋を挟んで東側は黒門市場で、アーチの周りには外国人観光客も多かった。看板を撮る私を不思議そうに見てきたかと思いきや、あちらさんも看板を撮影していた。
きっと帰ってから、「なんでこんなの撮ったんだろう」って思うやつである。

2019年3月4日月曜日

カフェストリート(大阪市中央区)



カフェストリートのアーチ看板
御堂筋より撮影(2019年3月)

大阪随一の繁華街に急に現れるおしゃれなアーチ。ここは神戸か、いやいやなんばである。
もともと喫茶店が立ち並び、近くの映画館の待ち時間に利用されていたこの場所は、2006年に石畳が敷かれ「Cafe street(カフェストリート)」として整備された。

カフェストリートのアーチ看板のアップ

洋風のアーチ。電飾がびっしり巻き付けられていて、ここもまた夜に来れば別の顔を見せてくれそうである

アーチになっている文字をよく見ると「SEIKASEIMONDORI」とあるが、ここの通りの本当の名前は「精華正門通り」だ。

通りの東側は戎橋筋商店街と交わり、その先には明治6年開校の「精華小学校」があった。
この通りには学校の正門があったのだ。

昔の木造校舎に代わって昭和4年に竣工した校舎は歴史的にも価値ある建造物であったが、精華小学校は1995年に閉校となりしばらくして解体。その跡地はもうすぐエディオンになる。

かつての正門はもうないが、存在した証はアーチ看板にも残り続ける。

2019年3月3日日曜日

四条通大成会(大阪府東大阪市)

四条通大成会のアーチ看板
府道172号線側より撮影(2019年2月)

「四条通大成会」は布施駅前より南へ続く「プチロード広小路」を抜けた先の東側にある。ちなみに布施駅側の入り口の東側には以前紹介した「東一条商店街」がある。

このアーチはどう頑張っても手前の信号機に邪魔される。特に「条」の字は斜めから見ないと全体が見えてこない。まぁ反対側から撮ればいいのだけど。きっと信号機は後からつけられたものだろう。

四条通大成会のアーチ看板のアップ

金属の枠に文字パネルをはめ込んだだけのシンプルな作りかと思いきや、よく見ると各文字にはオレンジ色のレトロ感を感じる電球がついていた。このタイプも珍しい。


四条通大成会のアーチ看板

商店街の入口の南側は広い駐輪場となっているが、Googleストリートビューの過去画像を参照するとここは2009年時点では飲食店があったようだ。商店街の顔となる場所がなくなってしまっているのはちょっとさみしい感じもするが、ここの駐輪スペースはほぼ満杯。駅もそこそこ近いので需要があるのだろう。